「ここだけ」の話が「ここだけ」に留まるハズがない
ごきげんよう。久遠です。
よく
「ここだけ」の話は「ここだけ」では終わらないといいますが、
どんなに気心が知れていても、どんなにクチが堅いと思っていても
『自分のクチから出したことはすべて、他人の「ネタ」になっている』
と思ってまず間違いないのが世の中です。
あなたの名前を出すかどうかは別として
あなたとの会話は、共有した相手の体験にもなり
他の誰かに提供する話題となります。
「ちょっと聞いて。●●さんたらさぁ」という
わかりやすい噂話から、
「友達から聞いた話なんだけど…」
と婉曲したものまでありますが、本質は同じです。
以前は、このことがわからず大変苦労しました。
信頼して友人に話した自分の性生活を、
彼女のご主人に話されていたとわかったときにはショックでした。
そのときは、気恥ずかしさと腹立たしさで煮えくりかえりましたが、
でも、まぁ、そんなものなんですよね。
対策としては、「自分の手の内は明かさない」ことしかない気がします。
たったひとりを相手に話していても、
「これは、このひと以外にも伝わっていい話かどうか」
を考えながら話すと失敗が少ないように思います。
Facebook、インスタグラムなどのSNSと同じですね。
そう思って気をつけていても
「そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
という使われ方をするときもありますが。
対外的に自分を作るのは「本当の自分じゃない」気がしますし
「誰も私をわかってくれない」と、さみしく思っていたのですが、
自分の内面のドロドロしたところを相手に分かってもらおうということ自体が甘えでした。
「一瞬の共感」や「時間の共有」はできても
「心底わかり合う」ということは絶望的に無理なのが人間。
ならば、
「いったんクチにだしたことは自分のモノではない」
ということを自覚して
その「一瞬の共感」や「時間の共有」を
できるだけ心穏やかに楽しみたいものです。